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最近の読書『働くことの哲学』

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お金のために働くつもりです、今のところ


最近読んだ本の感想を書く。

 

本のタイトルは『働くことの哲学』。著者はノルウェーの哲学者のラース・スヴェンセン。

 

以前大きめの本屋に行った時になんとなく買って積読していた。

『ネオサピエンス』(岡田尊司著)の次に読んだけど、人と仕事のかかわり方を考えるきっかけとしてこの2冊をセットで読むのもアリだと思った。

 

僕にはもともと「お金があったら働きたくない」という想いがあり、お金の価値に還元できない労働の価値とは何なんだろうな、という関心があった。

この本を読んでその関心、問題意識に答えが与えられることはなかったけど、もう一つの方の問題意識にも言及されていたのがうれしかった。僕だけがこの問題に関心があるのではないと分かったからうれしかったのだと思う。以下、その問題についての本書における記述。

 

そればかりか、仕事のなかには他のものよりも品位の落ちるものもある。そのため、そうした極めて品位の落ちる仕事を引き受けなければいけないひとがなぜいるのかという問題が生じる。これは、社会的公正にとっての急所となる問いだ。(p.  92)

 

どんな仕事を例に挙げても誰かを傷つけることになるから、ここでは「他のものよりも品位の落ちる仕事」を仕事A、そうでない仕事を、仕事Bと名付けておく。

ここで言われているのは、誰かがAを引き受けないといけないですよね、ということ。

デザイナーだったり、ユーチューバーだったりという一般的に「クリエイティブな」と言われている仕事がいくらか増えて、仕事にやりがいを見いだせる人が増えることは僕ももちろん嬉しいし、それは良いことだと思う。ただ、その一方で、だれもしたいと思わないであろう仕事もこの世にはある気がするし、その仕事について嫌な思いをしている人のことを思うと気の毒だ。かといって自分がそういう仕事を代わりにするかというと、できればしたくない。

 

「だれもしたくない仕事」なるものが存在するのか、というのがこの問題を考える際にまず議論されるべきことだろう。「だれもしたくない仕事」なんてこの世には無くて、一般的に疎まれている仕事でも誰かしらはやりたいと思っているはずだ、という主張がまず考えられる。僕とは逆の考え方だ。逆までいかなくても全面的に賛成はできない。

例えば、「海岸のごみを延々朝から晩まで拾っていく」という仕事があったとする。

多くの人はその仕事に就きたくはないと考える中、その仕事自体が好きで仕方がないという人が存在するはずだ、というのが「誰もしたくない仕事など存在しない」派の考え方だ。ここで「その仕事自体」と言っているのは、賃金とか福利厚生の面を考慮しないという意味。海岸のごみ拾いの例でいうと、もしその仕事の賃金が月100万円くらい高くて、人々がその高賃金目当てでその仕事についている可能性を排除するために「その仕事自体」という文言を入れている。もちろん賃金、福利厚生、その他の諸々の条件を含めての「仕事」だ、と言うこともできることは分かっている。ただ、それだと仕事をするときの「行為」とでも言うような、コアの部分だけを取り出して話すことができないのでやむなくこうしている。コアの部分というのは、「サッカー選手」でいうところのサッカー、「サラリーマン」でいうところのデスクワーク、営業、会議など、「工場作業員」でいうところの工場内での作業というような、それぞれの職業をその職業たらしめている「行為」のことを言っている。そう考えれば、賃金の寡多とか、福利厚生の充実度、世間での評判などは二次的な要因として考えられるだろう。

 

つまり、何が言いたいかというと、ある仕事からそこでなされている「行為」を抜き出してきたとして、その「行為」を多くの人が純粋に楽しめない、快を取り出せないような仕事に嫌々従事している人がいる状況というのは、良いものではないなと言うこと。

 

この問題については以後も考えていく。

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