IQ研究所

頭がよくなることを日々研究し実行しています。

時間の使い方が下手すぎる件について

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ベットが友達


最近自分の時間の使い方の下手さ加減に辟易している。

 

しないといけないことが山積している中で、ベットで横になってスマホを見続けた後の虚無感はすさまじい。

 

「忙しい人ほど余裕があり、暇な人ほど忙しい」とはよく言ったもので、まさに自分に当てはまっていると感じる。

スケジュール管理がうまくいっている上で忙しい人は心理的に充実しているから自然と余裕も出てくる。その結果、さらなる活動への一歩が踏み出しやすい精神状態になる。

一方、ただ惰性で生きている人は心理的な充実とは程遠く常に「何かしなければ」という強迫観念に付きまとわれている。

昼に起きて、夕方までダラダラして、夜になってようやく活動を始める日のことを想像してもらうと分かりやすい。

きっとそんな日の精神状態は不安定で余裕がないはずだ。

友人から誘いがあっても断るかもしれないし、面白そうな本を見つけても泣く泣くスルーすることになるかもしれない。

その上、気持ちは焦るが焦ったからと言ってその分結果が出るわけではなく、当の活動においても、精神的に余裕のある人を超えることは少ないと思われる。

 

「焦りだけが募るような状態をそうすれば切り抜けられるか」がここ1年半ほどの自分のテーマになっていたように思うが、ズバリこれだと胸を張って言える解答は持ち合わせていない。

 今のところの暫定的な対処法としては「小さいことでも立ち止まってやる・確認する・考える」ことを出来る範囲でしている。

「小さいことでもやる」というのはたとえば、はがきをポストに出しに行くのが面倒だと思ってもできるだけ早く出しにったり、一日分日記が飛んでしまったなというときにすぐにその日の分を書く、というようなことだ。

「小さいことでも確認する」というのは、たとえば「パソコンでスクリーンショットしたいけど毎回やり方分からず結局できてないな」と思ったときにすぐにググる、みたいなことだ。要は調べればすぐにわかりそうだけど、めんどくさくていつも調べられてなかったことに遭遇したときに、すぐ調べるというようなこと。

「小さいことでも考える」というのは、たとえば1時間自由な時間ができたというときに、すぐに何かの作業を始めるのではなくて、何をして過ごそうか、何をしないといけないのか、みたいなことを30秒でもいいから考える、というようなことだ。

 

他に用もないのにハガキを出すためだけに出かけるのは超めんどくさいけど、あとあと自分が楽になる。

パソコンでスクリーンショットするの難しそうだなとあまり気乗りはしないが、一回調べてしまえば以後、スクリーンショットをしたい時にはいつでもできる。

1時間の使い方をある程度考えておけば、途中でだらだらしてしまうことを防げるかもしれないし、もしだらけてしまっても反省する材料になる。

 

「次につながるような時間の使い方をしよう」などと意気込んでしまうとあとあと息切れしてしまうから、無心でできる時に確認する・考えることを繰り返して、いつしか習慣にできればいい。

 

おわり

 

 

コロナ自粛下の大学生の日常(勉強報告に代えて)

こんにちは、IQ研究所です。

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やる気あるときはこれくらいビシっと授業受けてる

春休みが2月の頭から始まり、6月の現在までコロナの影響で自宅学習が続いています。

ですので、今日はこの自宅学習の時期に優秀な学生である私がどのような生活を送っているのかについて書いていきます*1

 

こんな人に向けて書いています

・高校生や大学生になったばかりで、大学生活のイメージを膨らませたい方。

・同じ年代の人間がどんな生活を送っているのか知りたい方。

・学生時代を懐かしみたい社会人の方。

目次

生活編

昼夜逆転

 

まず、昼夜逆転を外してこの自粛期間を語れない。

 

去年の夏前から就寝時刻と起床時刻を記録しているが、その記録によると

 

2月:1:00~3:00就寝、9:00~10:30起床

3月:1:00~3:00就寝、9:00~10:30起床。(たまに12:00まで寝ることあり)

4月:1:00~2:00就寝、9:00~10:00起床。(このころまでは割と安定していた)

5月:2:00~5:00就寝、11:00~12:30起床。(ここから荒れだした)

6月:3:00~5:00就寝、11:30~12:30起床。(たまに7:00以降の就寝あり)

 

6月も終わりに差し掛かり、何とか最近少し寝る時間は早くなりつつある。

 

丁度一年前の今頃も昼夜逆転に近い状態にあったので今回もなんとか乗り越えられるだろうと思っていたが、さすがに3時とか4時まで起きて一人でリビングにいると寂しい。

3時台はテレビも面白いのをやっていないし、勉強するにしてもなんとなく気分が乗らないしで結局ウダウダしてしまう流れが多い。

 

外出

2、3日に1回ペースで散歩をしている。

あと2日に1回ランニングをしている。

 

その他は近所のコンビニに飲み物を買いに行くくらいか。

友人と会う日を除けば、ほとんど家から出ない生活を送っている。

 

それでもさほど不満はない。

たまに森林浴に行きたいときがあり、その時は近くの山を散歩している。

 

勉強編

大学の課題

5月に入り大学が再開してからというもの課題に追われる生活が続いている。

コロナ自粛によるリモート授業のおかげで大学に行かなくてよくなったのは嬉しいのだが、課題がその分増えてそれなりに大変だ。*2

 

 

例年、大学のレポートが書けずに苦しんできた身としてはよくやっているほうだ。

期末に4000字とかの大きいレポートを課されるよりも3週間に1回ペースくらいで2000字のレポートを4、5回書く方が取り組みやすいのかもしれない。

 

期末レポートの場合も、定期的にレポートを課される場合も、ギリギリまで参考文献読まないならば、細かい範囲に区切ってもらった方がまだ内容を整理しやすい。

 

1学期全部の内容を1週間で全部思い出していくのはなかなかキツイし、結局やる気が起きない。であれば狭い範囲でいいから定期的にレポートを課してもらう方が良い。今はそう思う。

 

後はゼミで使うレジュメづくりにかなり苦戦している。

ゼミの3,4日前はほとんどそのことしか考えてないんじゃないかという状態になる。

それが良いのか悪いのかは分からない。

別に資格の勉強をそれほどしたいわけじゃないからこれだけに集中してもいいかなとも思う。

 

某資格試験に向けての勉強

停滞している。モチベーションが湧いてこない。

 

2月:独学期。暗中模索の日々だった。半年もしくはそれ以上続けた独学をあきらめたくない・逃げ道を残しておきたいという想いがありなかなか予備校に通うという決心ができなかった。

 

3月:独学をやめ予備校に通いだした。この1か月はそれなりに勉強していた。

 

4月:予備校の自習室が使えなくなってからも家でそれなりに勉強していた。

 

5月:大学が再開し、資格の勉強は後回しになった。勉強量は激減した。

 

6月:勉強量は激減したまま戻っていない。とりあえずは大学の勉強をしっかりやろうかという気持ち。

 このままでは到底合格ラインには届かないので「焦らず急ぐ」を実践していきたい。

 

おわり

*1:需要が無いのは百も承知ですが、忘備録的な意味合いで書いていますのであしからず

*2:課題、課題言いすぎるのは「わたし頑張ってます」と言ってるみたいでみっともないけど他に書きようがないから仕方ない(別に「宿題」と言ってもいい。どっちでもいい)。

1か月間TwitterとYouTubeを封印した結果…

こんにちはIQ研究所です。

 

5/28(木)から始めた脱スマホ週間の取り組みも、昨日で1か月が経った。

 

 

www.izunoxxx.com

 

当初に設定した目標の最終段階である「1か月TwitterYouTubeを見ない」を達成したので、この1か月で得た気づきを記していく。

 

(こんな人に向けて書いています)

スマホと距離を置きたいと思っている人。

スマホと距離を置くことでどんな変化があるか知りたい人。

TwitterYouTubeが好きすぎて困っている人。

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1か月前の自分

 

目次

前提① 大きく何かが変わるわけではない

まず大前提として、一か月間TwitterYouTubeを封印したからと言って、突如に大きな変化が起こることはなかった

 

彼女・彼氏ができる、頭の回転がいきなり速くなる、金持ちになるレベルの変化は(少なくとも目に見える範囲では)なかった。

 

前提② TwitterYouTubeはそれ自体では素晴らしいコンテンツである

TwitterYouTubeを批判する気は全くないし、それを使っている人のことを悪く言う気も全くない。

 

そもそもこの取り組みを始める前には自分はそれらのコンテンツに依存した生活を送っていたし、そうやって依存することも絶対的に「悪」かというとそうでもないだろうと思っている。

 

Twitterの世界に入り浸ること、動画を見てくすくすと笑うことで救われる日も確実にある。

ただ、使う側にうまく付き合う余裕がないとその人に悪影響を及ぼす。

 

現在でもこの認識に変化はなく、また元のようにこの2つのコンテンツにお世話になるときが来るかもしれない。

つまり自分の立場は、TwitterYouTubeには良い面もあるし、付き合い方によっては悪い面もあるというフラットなものであって、決して両コンテンツを否定したいわけではない。

 

メリット① 謎の自信が得られる

大前提でも書いた通り、客観的に見てこれまでの生活がガラリと変わるということはなかった。

生活習慣はこれまでどうり荒れているし、勉強量も増えていない(なんなら資格の勉強量は激減した)。

 

にもかかわらず、気分的には安定しているこれでいいのかもしれないという謎の自信が出てきた。

 

ほぼニートのような生活をしていて、罪悪感・自己嫌悪に苛まれることが無いわけではないが、以前ほどマイナス思考に陥ることはなくなったと感じる

 

とはいえプラス思考で生きているかというと全くそんなこともなく、ただただ気分が落ち着いていると言える(「テンション低い」と理解してもらえばわかりやすい)。

 

要は、テンションは低いがそれも受け入れている状態と言える。

 

なぜ気分が安定しているのか、自信がついたように感じるのか。

 

それは、たぶん「自分の意志で何かをコントロールできている感」があるからだろう。

 

これまでの生活においては暇さえあればYouTubeで動画を見る生活をしていて、「この時間もったいないな」と思いつつもダラダラ視聴するのをなかなかやめられなかった。

つまり、自分の意志の弱さ・意識と行動の乖離を日々感じていた。

 

その点において、この一か月は、少なくとも「~はしない」と決めたことを守ることができ、結果としてそれが自信になっているのだと思う。

 

メリット② 何もしていない時間が増える

これは果たしてメリットなのだろうか。

 

TwitterYouTubeというコンテンツの二大巨頭を失ってからは、手持ち無沙汰になった時にやることが見つからなくなった。

 

食事してすぐとか、起きてすぐ・深夜寝られず起きているときなど「活動的なことをしたい気持ちもあるけどやる気が出ない」タイミングで、これまでどれだけTwitterYouTubeに頼ってきたかを再認識できた。

 

結局ネットサーフィン、LINEニュース等をすることが半分、何もせずボーっとすることが半分くらいになった。

 

時間があっても特に生産的なことをするわけでもないんだな、ということが分かったのはよかった。

 

とはいえ、何もしない分、やるべきことは何なのかを考える時間は増えた気がする

「やるべきことは何なのかを考える時間」が単体で増えるというよりも、全体的に使える時間が増えて、その結果として「やるべきことは何なのかを考える時間」も増すんだと思う。

 

あと、TwitterYouTube中心の生活だとこうしてブログの記事を書くこともなかったのかもしれないと考えると、両コンテンツから距離をおいて良かったのかなと思う。

デメリット① 暇なときの時間の使い方が分からない*1

メリット②の裏返しみたいなところがある。

 

簡単に言ってしまえば「何をすればいいのかわからない時間」が増える。

 

スマホの取り組みを始める前であれば、ふと暇な瞬間が訪れてもTwitterの画面をスクロールすることでその間隙を埋めることができた。

 

人間にとって「暇」な時間って相当苦しい時間なんだなと再認識した。

 

「暇」な時間が増えて、かえってストレスが増えた部分があるのでデメリットとしておく。

 

デメリット② 有益な情報にアクセスできない恐れがある

TwitterYouTubeは娯楽として使うにしても便利なものだし、ビジネス・勉強のための情報を取得するという点でも非常に便利だ。

 

この脱スマホ期間には、そういった点で有益な情報にアクセスする道具を少なくとも2つは失っていたことになる。

 

ビジネスをする上でも、勉強をする上でも信頼のおける最新の情報に触れ続ける方が良いことはまず間違いないから、そういった点で損失は大きかった。

 

デメリット③ アウトプットの場が制限される

自分はもともとTwitterで勉強の進捗を報告していた。

 

勉強垢に勉強報告をしている人はたくさんいるはずだし、ビジネス関連でアウトプットしたい人もいることだろう。

 

SNSで自分の活動報告をすることは、次への活力になるし質の良い情報を提供できていればその分質の高い情報に触れることができる(らしい)点で非常に有益と言える。

 

だから、SNS経由でのアウトプットができない状況に身を置いているということで機会損失は多少なりともあったと思われる。

 

結論 いきなり何かが大きく変わることはないけれど、精神面での充実は得られた

 この1か月で客観的に何かがいきなり変わるということはなかった。

しかし、これまでスマホに使っていた時間の一部を「空白の時間」にすることによって「自分は何をするべきなのか」について考えることが増えた。

 

また、「自分は何をするべきなのか」という、日頃なかなか集中して考えることのないものについて考えを巡らせることができている、という実感は多少なりとも精神の安定に作用していたものと思われる。 

 

以後TwitterYouTubeの封印を解くか否かは未定ではあるけれど、たとえ中毒気味になたとしても今回のような取り組みをすれば状況を改善できるということが分かったのは大きな収穫である。

 

なお、脱スマホ週間の取り組みについては克明な記録が残っているのでよければ興味のある方はそちらもどうぞ。

 

www.izunoxxx.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:何もしない時間と言っても、ほんとに「何もしていない」時間なんてないのかもしれない。メリット②で見たように、実際には人というのは、そういう時間にいろいろ考えていたりするものだ

何もやる気が出ない時

 

 

今日は朝起きてweb授業を受けて以降ずっと寝ていて、2時間ほど散歩もしたがそれ以外は基本ベットにいるような状態だ。

 

今日は圧倒的にやる気が出ないので、こういった何もやる気が出ない日をどうすれば乗り切れるかを考えたい。

 

社会人ならある程度無理をしてでも会社に行かないといけないが、学生だと授業が無い日だと延々に家でゴロゴロしたりしてしまいがちだ。

 

なぜ何もやる気が出ないのかと、たぶんなんだろう。

よく言われていることだが身をもって実感している。

 

ただ、もちろんやるべきことはある。

大学の課題・試験勉強・ゼミの準備etc.

 

だから、本来的には暇ではないのに、実質的に暇になっている、そんな状態。

 

では、なぜそんな実質的な暇が生じてしまうかと言うと、当のやるべきことがやりたいことではないからだと思う。

 

基本的に人間というのは、自分の意志で動こうとするときは自然と動ける。

当の活動に取り掛かる段でもスムーズに動き出せるし、長時間同じことをしていても(筋肉痛などの物理的な疲労を除いては)ある程度は集中力をもって取り組んでいける。

 

逆に自分の意志に反していることは、その作業がどれだけ簡単であっても集中力はすぐに切れる。休憩をしてもすぐにまた集中は切れる。

 

そもそも「自分は今集中できているかな」なんて考えてしまっている時点でその人は集中できていない。夜寝る前に「自分は今日一日~に集中して取り組めたかな」と考えている場合もあまり変わらない。

 

そもそも「集中」という概念が頭の中にある時点で、本来的にその人が求めている「集中」状態からは程遠い。

 

ではどうするかだが、たぶん当の活動(試験勉強でも仕事でも部活の練習でも筋トレでも何でもいいが)を始めてから考えていては遅い。もうその時点でどうこうすることは(少なくとも自分の力では)できない。もしくは相当難しい。ここで「始める」と言っているのはその日活動を字始めるという意味ではなく、もう少し長い期間で始めること(仕事の例だったら「入社」が、部活の例だったら「入部」がそのタイミングになることが多いだろう)を指す。

 

つまり「集中できないな」と思ったら、当の活動に集中することは当分の間あきらめるべきだ。その活動に専念できるまでには1か月、半年、一年、もしかするともっと長い時間を要するかもしれないが仕方がない。その期間はただひたすら待つしかない。

待っていれば自然と当の活動に専念できるようになるはずだ。

 

「やる気を出す」「集中する」方法なんてないと思う。

言葉を足すと、「意識して」やる気を出す方法とか「意識して」集中する方法なんてものはない。

 

一見そういう風に見えているものは、実際には本人にとっては無意識レベルでしていることを周囲が勝手に「意識的に集中モード」に入ったと勘違いしているだけだ。

 

分かりやすく集中モードとオフモードを切り替えている人、意識的にそれができると豪語する人の話は眉唾だと思っている。少なくとも意識的には無理だ。

 

「集中」を「夢中」と言い換えてもらえば話が入ってきやすいと思う。

本来求められているのは何かに「夢中」になっている精神状態だと自分は理解している。

 

その「夢中状態」を意識的にコントロールできるというのは矛盾だろう(コントロールと「夢中」は相いれない)。

 

長々と書いてきたが、そろそろまとめる。

 

この記事で考えたいことは、「何もやる気が出ない日をどうすれば乗り切れるか」であった。

 

その答えとしては「好きなだけゴロゴロしろ」となる。

 

多分そういう時期なんだろうし、そういう日なんだろう。

暇でいてもなんら問題ない。

 

暇でいることに疲れて、何かしたいなら動けばいい。

仕事もしたくなければやめればいいと思うが、それで食うに困るなら働けばいい。

 

要は内発的(「自発的」との区別はよくわからないのでしない)であればどう過ごしていてもその時間はその人の身になる。そう考えている。

 

おわり

 

 

 

 

脱スマホ週間28日目 6/24(水)

スマホ週間28日目の振り返りをする。

 

6/24(水)は、一切TwitterYouTubeを開かなかった。

 

気づけば脱スマホ週間を開始してからあと2日で1か月である。

 

意外と早い。1か月の総まとめを書くのが今から楽しみだ。

 

(気づいたこと)

スマホを開いた時間はトータルで6時間39分だった。

 

・大学の課題でスマホを使う時間が長かったので、トータル時間が長くなった面はある。とはいえ「YouTube Music」で音楽を流しながら勉強したりしていたのも、使用時間が長くなった一因であると言える。

 

・1日中家にいたが、それほど外に出たい(喫茶店に行きたいなど)とは思わずそこそこ集中して作業できた。

 

・深夜、課題が終わった後に、「やらなければいけないことはあるけど、それをやりたくないから結果的に暇」という状態になり、意味もなくネットサーフィンをした。

 

くらいか。

 

最近は、テレビを点けていても是非見たいと思えるような番組がそれほどなく、かといってスマホでもすることが無いという状態に良くなる。

「最近」と言ってもここ2,3日のことかな?もしくはここ1、2週間。

そういう状態にあるときに勉強でもできればいいのだけど、なかなかそうはいかない。

 

YouTubeTwitterをしなくなって、テレビを以前より観る時間が(たぶん)短くなったけど、時間がたくさんあっても人間はそれはそれで困るんだなと思う。

 

これは以前エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』から学んだことであるが、自由を享受することは一部(もしくは大部分)の人間にとってはとてもツライことである。

 

自分は時間をうまく使えない部分がある、でも時間を求めてはいる。

時間を確保した上で、その時間をうまく使えるようになりたい。

 

要は、「これだけ時間がある、だから何かしないと!」という強迫観念めいたものに押しつぶされたくはない。

 

おわり

脱スマホ週間 26・27日目 6/22・23(月・火)

スマホ週間26・27日目の振り返りをする。

 

この両日ともTwitterYouTubeを開くことは一切なかった。

 

もはや、これらのアプリを開きたいという欲求もほぼなくなった。

約1か月前にはほぼ中毒状態にあったことを考えれば相当成長したのではないか。

 

(気づいたこと)

・6/22(月)にスマホを開いた時間はトータル4時間36分だった。

 

・6/23(火)にスマホを開いた時間はトータル4時間43分だった。

 

・火曜日の夜に延々とネットサーフィンをしてしまった。

 

・課題提出の波が去ってスマホを触る時間が長くなった。

 

最近は夜にネットサーフィンすることもあまりなかったが、昨日は長時間スマホを触ってしまった。たぶんそのせいでかなり眠りが浅く、今日(6/24)は起きた時からずっと調子が悪い。

具体的には集中力がほとんどない。

 

最近は課題に追われてずっと机に向かってたから、少し休憩してもいいのかもしれない。

 

おわり

 

 

脱スマホ週間 23・24・25日目 6/19・20・21(金・土・日)

スマホ週間23・24・25日目の振り返りをする。

 

結果として、6/19・20・21は、一切TwitterYouTubeを開かなかった

 

さっそく気づいたことを書いていく。

 

(気づいたこと)

・6/19・20・21にスマホを見た時間は、それぞれ6時間48分、4時間41分、3時間40分だった。

 

・全体的にスマホ使用時間が長くなっているのは、大学の課題でスマホを使用する英語の課題があったから。

 

・精神的に落ち着いている。一人でいてもそこまで不安・孤独を感じない。

 

・今学期始めからずっと放置していた大学の課題を一気に片付けることができた。

 

・本を読む際に以前より構造的に把握できるようになった気がする。

 

・感傷的な気分になることは以前と比べてそれほど増えたとも思わないが、なったと気の深さ・もの悲しさが以前よりも増した。

 

くらいですかね。

 

精神的に落ち着いている件/不安・孤独をそこまで感じない件について

人が不安・孤独を感じるのは目の前のことに集中できていない時ではないか。

ここ一週間ほど、やり残していた(自分にとっては)大量の課題と格闘した。

 

人生の意味、生きている意味、のような抽象的な考えをすることは2,3週間前にくらべて少なかったように思う。

夏目漱石の言葉を借りれば「実際的」なことで頭を悩ませていた。

 

で、どうだったかというと、もちろん課題が進まない、(ゼミのための)レジュメ作成がなかなか進まないという悩み・不安感はあるものの、「生きる意味とは?」のような考えが頭の大半を占めているときに感じるような、無力感を伴うような不安を感じることは少なかったように思う。

 

「不安」という言葉で何を意味しているのかもう少し明確にした方が話がしやすいのだが今は書かない。とにかく、将来がどうなるか分からないというようなある意味「実際的」な不安は、目の前の具体的な課題に取り組むことでしか解消される方向にはいかないと思う。

 

孤独感については、たぶんSNSをしていないことが関係している。

以前は孤独感を埋めるためにSNSをしていたが、どれほど効果があったのかわからない。

 

それよりは、さっきも書いたが目の前の課題、やるべきことにあたる方が
すくなくとも今の自分は孤独感を感じずに済むようだ。

 

感傷的な気分になった時の「深さ」・ものがなしさが増した

昨日、深夜に自転車をこいでいて、ふと感傷的になった。

 

感傷的な気分に浸ることはこれまでもよくあったが、その気分の深さ、と言えばいいのか、とにかく、没入感が増した気がした。

 

刺激の強いもの、興奮作用のあるもの(YouTubeなど)を見る機会がへったことによって、細かいことに対する感度のようなものが多少上がった気がする。

 

この点は脱スマホ週間における興味深い点だ。

 

おわり